)      (昭和51年6月7日第三種郵便物認可)
美術新聞社報
新着コラム
かや はら

萱原晋のコラム(風信帖/№1219)

投稿日:2022年7月20日
 「企画展・軍事郵便…」なるタイトルだけで、「あ、私、パス!」と即断する人が多いのではと思い、お節介を買って出た。
▼本号の中面カラーページをご覧くださった読者は、目をむいたかもしれない。いや、きっとそうだろう。何せ右隣紙面の「琉球」展の国宝の画像よりも大きく、古い絵葉書に刷られた絵の画像がカラーで載っている――。でもまあ、これが現代には稀な七〇年足らずの短いキャリアを誇らない(?)〝新聞老年〟萱原のパフォーマンスなのだとご理解頂きたい。
▼それにしても、むろんプーチンの戦争も、八〇年前の日本軍部によるそれも、到底納得できない、ガマンならない軽挙、暴挙、愚挙とする胸中の思い、認識については、全くのところ読者諸賢と共有するものである。が、新宿の平和祈念展示資料館で始まった「軍事郵便…」展については、昔、前線に送られた兵士たちと母国日本に残っていた家族たち、今ウクライナで命令に従ってミサイルのボタンを押し続ける兵士たちと母国に残る家族たちの心情にも思いを馳せることのできる機会として、使命感をもって紙面を割いたことを、お分かり頂きたいと思う。
▼それにしても、間もなく半年にもなろうかというこの惨劇、幕が降りるのはいつなのか。
  • コラム№1212~1218
    • かや はら

      萱原晋のコラム(風信帖/№1218)

      投稿日:2022年7月20日
       最近、思い立って、書棚から種々の全集の類、「世界」「中国古典」「日本古典」「日本現代」等々といった揃いの本達のなかから、その時お呼びの掛かった(?)本を手に取りページをめくることを心掛けている。
      ▼大概は四、五〇年前から一緒に過ごして来ながら、半数以上は一度も箱から出してやってないものも少なくなく、申し訳ない思いで目次を開き、「よし、これ」と決めたものを読み始める。とは言え、〝悠々自適〟の身ではないし、読書量はまあそこそこ。
      ▼何よりのネックはそこに並んでいる活字の大きさだ。一日の仕事を終えた日付の変わる時刻頃では、遠近眼鏡の奥で懸命に目を凝らしても(当時の印刷の問題もある)、ルーペのお世話にならざるを得ないことが少なくない。特に『中国古典全集』などは、常用漢字にない活字が並んでいるから、なおさら。
      ▼それで、現役編集者としてつくづく思うのは、人間はこうして五感を急速に退化させながらどこへ向かおうとしているのか、ということ。新聞にしても、かつては一段に一五字並べていた。今、本紙は一三字だが、日刊紙の主流は一二字。業界としては、字数が増えても頁数はおいそれとは増やせない。担当者は人知れず悩む、今日このごろである。
      かや はら

      萱原晋のコラム(風信帖/№1217)

      投稿日:2022年7月20日
       「ぬか喜び」とは、このことだ。これからの政府の〝子ども政策〟の中核となる「子ども家庭庁」の設置法案が衆院本会議で可決され、今国会で成立する見通しという。
      ▼ただ、数カ月前に本欄で「設置後は保育園が厚労省から新庁に移管され、今後の学齢期前の幼児の教育・保育については文科省と新庁で協力して策定していくようだから、幼・保段階における『文字指導』について、前進が期待できそう」と書いた手前、黙っておくわけにはいかない。
      ▼聞くところでは今回成立が見込まれる法案は、保育園や認定こども園は新庁に移管されるが、幼稚園は文科省が手放さないのだとか。つまり、「幼保一元化」は画餅となったわけで、典型的な縦割り行政の弊というしかないだろう。
      ▼そもそも認定こども園自体が、教育と保育の一元化をめざしてスタートしたものなのだが、生まれて早二〇年近く経つのに、所管の内閣府と共管の文科省、厚労省との間でいわゆる股裂き状態が続いているとか。だが、明らかに時代は待ったなしで、今や二歳、三歳から文字を書き出すのが当たり前。しかし保育園では適切な文字指導が出来ず、みすみすチャンスを、というかむしろマイナス効果さえ与えている現実を、早くなんとかせねば…。
      かや はら

      萱原晋のコラム(風信帖/№1216)

      投稿日:2022年7月20日
       近頃、山地を走る鉄道で、野生のシカをはねる事例が増えているのだとか。鹿がレールを舐めていて列車が接近し、車なら急ブレーキを踏めば(筆者も八ヶ岳山麓の車道で何度か遭遇の経験がある)事なきを得るにしても、鉄道はそうはいかないだろう。
      ▼それにしても、野生動物が「鉄分足りない」と鉄道のレールを舐めまくらねばならないのは、自然で生きている彼らの〝食生活〟が、おかしくなっていることの証左に違いない。
      ▼そういえば我々人類も、手で文字を書くという当たり前の日常的行為が〝無用〟とされる場面も増えた。「マイナカードか免許証のコピーがあれば、サインは要らない」などと言われることもフツーになった。だが、「字を書くことを忘れた人間」って、西条八十の童謡に習うなら、「後ろの山に捨てましょか」「背戸の小藪に埋めましょか」「柳の鞭でぶちましょか」となるのは必定ではあるまいか。
      ▼もっとも八十先生は幸い、救いの手を差し伸べてくれている。「象牙の船に銀の櫂、月夜の海に浮べれば、忘れた唄を思い出す」と――。さてそれでは、人間が手書きを思い出す「象牙の船」とは、「銀の櫂」とは、「月夜の海」とは? 今を時めく、スパコンの助けでも借りるほかないのか?!
      かや はら

      萱原晋のコラム(風信帖/№1215)

      投稿日:2022年7月20日
       あのトヨタが、新車販売のための紙のカタログの廃止を決めたと報じられている。
      ▼出版界でも紙媒体の先行きに悲観的な観測が強まっている昨今、企業が広告宣伝活動で紙媒体に見切りをつけ始めるのも、時代の流れだろう。それで、懐かしく思い出したことがある。もう半世紀近くも昔だが、当時筆者は、美術年鑑社が今も出している『新美術新聞』の編集長をやっていた。
      ▼そんなある時、ある印刷会社の営業マンの来訪を受けた。何でもその会社は、凸版印刷と朝日新聞社の合弁会社で、朝日の日曜版のカラー紙面を刷るために設立され、実際に刷っているのだという。それで用向きは、だからぜひ美術の新聞をうちの輪転機で刷らせて欲しい、というのだ。
      ▼しかし筆者は当時、既に印刷にはある程度通じていたから、「平台(平版印刷)でも色に苦労しているので、輪転ではねえ」と反応すると、曰く「その点は、ご安心ください。うちの輪転は、色に厳しい日産自動車の乗用車カタログを刷らせて頂いておりますので」とのこと。「じゃあ、一度試してみるか」と乗ったのだが、結果は惨憺。当時の一万七千部を、何とかガマンできるレベルに刷るのに、実に一五万部のヤレ(反古紙)が出、その件はそれでおしまいになった。
      かや はら

      萱原晋のコラム(風信帖/№1214)

      投稿日:2022年7月20日
       最近、列島の古代、それも縄文時代に新たな興味が湧き始めている。
      ▼元々、筆者にとって縄文遺跡は、決して知らぬ仲(?)ではなく、高校時代は夏休みの度に某大学の発掘チームに加えて貰って遺跡の発掘作業に参加した経験があるほどの〝オタク〟だったから、まあ半可通程度の知識は持ち合わせている。それにこれまでも、北は三内丸山から西は吉野ヶ里まで、機会があるごとに立ち寄って空想の翼を広げてきたのだが、まあそれはそれ、過去の話。
      ▼それにしても、近年の日本の考古学研究の深化・進化は目覚ましく、例えば三内丸山の縄文人が栗の木の栽培で定住化を実現していたらしいとか、全国でワクワクするような研究成果が発表されている。そしてなんと、この五月三日から吉野ヶ里遺跡で、神社の境内だったため手が付けられなかった場所(四、二〇〇平米)が、神社の移転で県有地になったことで発掘が始まったとか。
      ▼そこは遺跡西側の小高い丘で、当時の王などの墳丘ではないかと見られているらしい。吉野ヶ里は、縄文末期から古墳時代まで相当規模の集落が長く存在し、支配者の存在も確実視されているから、今回の発掘で「文字」資料の出土も十分考えられると思うと、うーん、楽しみだ!
      かや はら

      萱原晋のコラム(風信帖/№1213)

      投稿日:2022年7月20日
       先月の紙面に、書道芸術院の「記念展」の記事を載せた。年表を繰ると、同院が結成されたのは昭和二十二年の十一月で、第一回展の開催は翌年の一月とある。
      ▼その同院は、二年前の二十年暮れに、なんと終戦のその年に、飯島春敬らが全国に檄を飛ばして散り散りになっていた書家を糾合し、尾上柴舟を会長にスタートしていた日本書道美術院から袂を分かった、二四名の〝同志〟らが発起人に名を連ねて結成したものであった。
      ▼当時は世相も大混乱期、恐らくは五里霧中の思いの中で理想論をぶつけ合っての分派独立だったことは、想像に難くない。なぜ、このようなことを書こうと思い立ったのかと言うと、このところ日々の新聞やテレビのニュースで目にするウクライナの惨状に、当時のことを思い出すからである。
      ▼実際、終戦直後の数年は日本の国土も、まさにあのような惨状だったことが否応なく思い出される。筆者は、二十二年に小学一年生だから、それこそ脳裏に焼き付いている光景である。まあ、そのことはそのこととして、今改めて頭が下がる思いなのは、あの状況下で〝書道再興〟〝書壇再建〟の志を共有しながら口角泡を飛ばしていたことであろう、戦後書壇をかの隆盛に導いた人々に対してである。
      かや はら

      萱原晋のコラム(風信帖/№1212)

      投稿日:2022年7月20日
       もうかなり以前のことだが、将棋で天下を沸かせている藤井聡太〝少年〟が「将棋の神様がいたら、何をお願いしたいか」と記者に問われ、「せっかく神様がいるのなら、一局お手合わせ、お願いしたいと思う」と、即座に答えたという話がある。
      ▼これを聞いて「参ったな」と思ったのは、筆者だけだろうか。当時も、「神対応」として話題になっていたが、そんなありきたりの感想では済まない気がしたものだ。「ことば」は、頭脳力、ハート力、感性力…、まさにその人物の〝人間力〟を如実に映し出す、鏡のようなものなのだ。
      ▼長々と前フリをしたのは、今回、改めて秋元康氏の「ことば力」に感銘を受けたからである。(金田石城の仕事も悪くなかったが、それはまたの機会に!)そしてトークショーでも、特に「君の名は希望」という詩(歌詞)が話題になっていたが、確かにあの詩が『歌詞集』のトップに載ったのは編集者の才かどうかはともかく、さすがだと思った。
      ▼「君の名は…」の最後のフレーズは、「未来はいつだって/新たなときめきと出会いの場/君の名は〝希望〟と、今、知った」「希望とは/明日の空/WOW、WOW、WOW」。あの曲は、乃木坂が歌っているらしいが、いい歌詞をもらったものだ。
  • コラム№1184~1191
    • かや はら

      萱原晋のコラム(風信帖/№1191)

      投稿日:2021年5月10日

      文字文化協が『文字文化大字典』構想

       (一社)国際文字文化検定協会が打ち出した『文字文化大字典』の編纂計画が、話題を呼んでいる▼同協会が機関誌《文字だ!》の最新号で八ページを割いて縷々(るる)説明しているものだが、敢えて「構想(案)」としているのは、まだアイデアの段階を出てないからだろう。その構想(案)によると『字典』は、まず教育漢字・常用漢字から始め、最終的には古典・古筆中の字例から現代社会で生み出され活用されているデザイン文字まで、現代においても一定の使用頻度のある「文字」を、手書き文字を中心にそれぞれ一〇〇種規模収集して「一冊(?)」にまとめようというものである▼その集字規模は五〇万から一〇〇万字をめざすという大型企画だから、むろん「一冊」には到底収まらず、そもそも印刷・製本というプロセスを通して紙媒体として流通させるのは、この時代ではおそらく困難。それゆえ「構想(案)」は、今だから「デジタル化の波を〝手書き文字〟の味方に」して、すぐれた「字例」を確実に未来に残すと共に、誰でも利用できるデジタルツールとして広く一般の利用に供したいという▼「皆さんと一緒に作る『字典』に協力を」という同協会の呼び掛けに、多少なりともご関心をお持ちくださったら、ぜひ☏〇三-六四一七-九五六六の同協会へ!
      かや はら

      萱原晋のコラム(風信帖/№1190)

      投稿日:2021年5月10日

      高校用「国語」新教科書、お目見え!

       新しく編まれた高等学校用の「国語」の検定済み教科書(一年生用)が、いよいよお目見えした▼三年前に新学習指導要領が告示されて以降、本紙も報道や解説に力を入れてきた「中学校書写の高校国語科への延伸」構想が具体的に示される可能性のある最初のステージと、多くの関係者が期待してきた新教科書である。本社も当然、公表当日の朝に記者を文科省に急行させた▼が、いわゆる〝白表紙本〟をチェックした限りでは、残念ながら「目次」に書写関連の項目を立てた教科書は皆無で、コラム等の形で「書写」や「文字文化」「漢字・仮名の歴史」などに関する記述を設けたり、巻末に小・中学校の国語科書写の「まとめ」のような記述を設けたりといったケースもゼロだった▼もっともこれは十分に予測されたことで、なぜなら各社版の編集・執筆に当たったのは恐らく高校国語科のベテラン教員陣と、教員養成系大学学部の国語担当の教授陣で、完全には確認していないが、「書写」関係者が加えられたケースはなさそうだからである▼そして、一年生用にないものが二、三年生用で盛り込まれることも期待薄だから、従来から折に触れて叫ばれてきた書写・書道と国語の先生達の交流の場や共同研究、情報交換の機会が、ますます必要となってきそうだ。
      かや はら

      萱原晋のコラム(風信帖/№1189)

      投稿日:2021年4月15日

      聖徳太子は実在した?!

       「聖徳太子と法隆寺」展のためにおさらいをしようといろいろ当たっていたら、「聖徳太子は実在しなかった」「聖徳太子が教科書から消えた」などの情報があふれ、ビックリした▼実際、最近の歴史の教科書では「厩戸王(聖徳太子)」と、何とカッコ付きにするのが主流らしい。もっともそれは太子の全否定を意味しているわけではなく、文科省や学界が従来の「聖徳太子像」の典拠となってきた日本書紀の検証を進めた結果、あのスーパースターとしての聖徳太子像は修正の要がある、となったということらしい▼当時、十七条憲法や冠位十二階、遣隋使派遣、国史編纂などのめざましい国家的取り組みが行われたことは認めていいとしても、あの全てを太子の功績とするのは無理があり、厩戸王(うまやとおう)イコール「聖徳太子」ではあり得ない、ということか。と言って、「法華義疏」の価値まで云々するのは軽率に過ぎ、真正筆者探しは今後千年?の課題となるのだろうか▼それで思い出すのは、「聖徳太子の母は半島(百済)出身か」という情報が駆け巡り、我々「歴男」も、さもありなんと耳を傾けたのはついこの間のことだが、今や影も形も見当たらぬ。有力な反証でも提起されたのだろうか。げに、〝歴史認識〟は恐ろしい!
      かや はら

      萱原晋のコラム(風信帖/№1188)

      投稿日:2021年4月15日

      「デジタル化」ということ

       近年、つくづく「デジタル化」ということが喧しい。学校教育でも、「教科書のデジタル化」などという議論まで、真顔で行われている▼「デジタル」という語が未来を拓く〝夢のキーワード〟のように扱われ、文科省も「授業改善や、特別な配慮を必要とする児童生徒等の学習上の困難低減のため、学習者用デジタル教科書を制度化する」などと言い、今後は「必要に応じてデジタル教科書を」などと叫んでいる。そして、「デジタル教科書とは、紙の教科書の内容の全部をそのまま記録した電磁的記録である教材を指す」とするが、それでは単に「ペーパーレス」であり、「えせデジタル」、〝目くらまし〟ではあるまいか▼ちょっと知ったかぶりをすれば、そもそも〝デジタル化〟とは、「山」という字を「11100101 10110001 10110001」(バイナリ変換)とか、「e5b1b1」(HEX)とかの記号に置き換えることであり、さらにはそれを、言葉が適切かは分からぬが〝脳波化〟して各自の脳に直接届けるとか、あるいはイメージ化用チップを各自の脳に埋め込むなどのことまでを意味しようから、これはもう、目や耳や手をもつ人間が「人間をやめる」ことを求められる世界かも。そんな世界を我々は、子供たちは、望むのだろうか。
      かや はら

      萱原晋のコラム(風信帖/№1187)

      投稿日:2021年4月15日

      「現代名家の臨書書法」連載スタート

       「臨書」という語の〝初出〟は唐太宗関係の文献という説があるが、真偽のほどは定かではない。だが、初唐にこの語が見られるということは、大きな手掛かりだろう▼本紙の新企画、「現代名家の臨書書法」がスタートした。「開幕投手」の人選は、即決で決まった。ちょうど、成田山で新井氏の回顧展が開かれていて、氏の「折帖臨書二百冊」が公開中であることも決め手になった。近代の名家・大家の中にも、折帖の臨書を残した人はいくらもいるが、200冊、それも定年後の10年でという例は、寡聞にして他には聞かない▼ではなぜ、それほどまでに新井光風は「折帖臨書」にこだわったのか。その答えを金田石城がインタビューの中でつぶさに聞き出していて、貴重な「肉声」となっている。まず、折帖は「紙幅が狭い」という。つまり、折帖は文字を書く用具用材としては問題ないとしても、余白など空間的な面を考えると難がある、ということなのだろう。それなのに、なぜ折帖なのか? それは、「折帖は途中で捨てるわけにいかない」「だから格段に真剣になれる」からだという。これは傾聴すべき言葉だと思う▼そして臨書は、「終われば自分には、二度と開く必要はない」とも。実に明快だ。
      かや はら

      萱原晋のコラム(風信帖/№1186)

      投稿日:2021年4月15日

      住川教授の「手紙だんらん室」完結

       鳥取大の住川英明教授が、本社の《書統》誌に2010年から連載してくれた「手紙だんらん室」と題するエッセーが、3月号で一応完結となった▼エッセーは毎回、日本近代の書家ではない傑出した芸術家や文化人の手になる手紙やはがきを取り上げ、それに「交じり書」の作例として考察を加え、文面を解読し、その背景にまで言及したもので、しかもほとんどは彼のコレクションともなっているようだから、これを1冊にまとめるときには、話題性あるイベントもやれそう。全面的に手伝おうと思う▼この11年間に彼が紹介したのは、42人の100通前後の手紙類で、内訳は日本画家11、小説家10、洋画家7、歌人5、俳人4、その他5人。彼に10選を選んでもらったところ、前田青邨(封書)、速水御舟(封書)、長塚節(封書)、棟方志功(封書)、萩原朔太郎(封書)、堀辰雄(葉書)、高村光太郎(封書)、藤田嗣治(封書)、幸田露伴(封書)、鏑木清方(封書)というリストを送ってくれた▼これについて彼は、「棟方志功の封書は、もらった手紙の裏面を使って新たな手紙を書く傍若無人さだが、自由闊達、清々しい力強さがある」などと付記している。《書統》の次号で、「連載を終えて」と題する彼の一文を掲載することにしている。
      かや はら

      萱原晋のコラム(風信帖/№1185)

      投稿日:2021年4月15日

      金田氏とタッグを組んで、もう一仕事

       「人間五十年、下天の内を比ぶれば、夢幻の如くなり」の信長の言葉はよく知られているが、この高齢化時代、「長年〝人を食って〟きて相変わらず元気な」80歳萱原が79歳金田石城と組んで、もうヒト仕事しようという流れになった。世の中、一寸先は〝光明〟である?!▼私は西洋美術・美学については、ほんの少しでもかじった経験はあるにしても、書は人並みに字が書ける程度だから、本紙では評論はもっぱら堀江知彦、小野寺啓治、田宮文平といった専門家にオンブにダッコでやって来た▼社員らにも、連中は皆、大東の書道科出身なので、つい評論まがいのことを書きたがる傾向もあるのだが、かつて書壇の大先生から、「お前のところの記者は、随分偉そうに評論しとるな」と言われたこともあり(これは大東ではない某大卒!)、「評論はするな」「事実を伝えるのが新聞記者の仕事」と教育してきた▼もっともそんなことからかつて、小野寺啓治に「君の新聞は、点数と場所しか書かないね」とからかわれたものだが、まあそれはそれ。その私がここへきて、金田とタッグを組もうという話になった。20代に日展入選6回などの経歴が示すように、確かな技術と知識を備えた彼に、本紙の目・耳として大いに活躍してもらおうと思う。
      かや はら

      萱原晋のコラム(風信帖/№1184)

      投稿日:2021年4月15日

      斜陽に立つ〝新聞〟

       新聞はメディアの王者として、報道と広告の世界では長く社会に君臨してきたと言えるだろうが、ここへきての凋落ぶりは目を覆うばかり▼日刊紙の場合、発行部数が広告の実勢料金に反映する仕組みなので、第三者機関が消費した用紙の数量を監視しており、ほぼ正確な数字が公表されている。それによると、昨年5月の時点で、読売が700万部強(ピークは1,028万部)、朝日が500万部弱(同842万部)、毎日が200万部(同488万部)、産経が100万部強(同220万部)である▼それだけでなく、読者層にも変化が顕著のようだ。昨秋、文字文化検定協の機関誌『文字だ!』で「美文字だ!練習帳」を付録に付けたので、読売と朝日に広告を打ってみた。すると1,000件を超える問い合わせがあり、嬉しい悲鳴を上げたのだが、何とそのレスポンスの90%以上が70~90代の男女という結果で、ビックリ。そういう時代なのである▼かくいう本紙も、ピーク時は1万部を大きく上回っていたのに、残念ながら今は当時の半分で四苦八苦している。が、「吾輩の目の黒いうちは」と、冷や水飲みながら頑張っており、今年から、業界で重宝されている全国の展覧会の「開催情報」のWEB配信を、試験的に始めた。