萱原(かやはら)晋のコラム(風信帖/癸隠隠牽掘

 21年04月15日 | カテゴリ: ≪風信帖≫

「現代名家の臨書書法」連載スタート

 「臨書」という語の狃藹亅瓩賄眤製ヾ愀犬諒幻イ箸い説があるが、真偽のほどは定かではない。だが、初唐にこの語が見られるということは、大きな手掛かりだろう▼本紙の新企画、「現代名家の臨書書法」がスタートした。「開幕投手」の人選は、即決で決まった。ちょうど、成田山で新井氏の回顧展が開かれていて、氏の「折帖臨書二百冊」が公開中であることも決め手になった。近代の名家・大家の中にも、折帖の臨書を残した人はいくらもいるが、200冊、それも定年後の10年でという例は、寡聞にして他には聞かない▼ではなぜ、それほどまでに新井光風は「折帖臨書」にこだわったのか。その答えを金田石城がインタビューの中でつぶさに聞き出していて、貴重な「肉声」となっている。まず、折帖は「紙幅が狭い」という。つまり、折帖は文字を書く用具用材としては問題ないとしても、余白など空間的な面を考えると難がある、ということなのだろう。それなのに、なぜ折帖なのか? それは、「折帖は途中で捨てるわけにいかない」「だから格段に真剣になれる」からだという。これは傾聴すべき言葉だと思う▼そして臨書は、「終われば自分には、二度と開く必要はない」とも。実に明快だ。




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