蘭亭の旅、沖縄石碑巡り

掲載日: 11年01月01日 | カテゴリ: 書道美術新聞【1面】

琉球古碑10選
仮名文字碑文に簡単
“戦火の傷跡”もくっきり


 今年の「第二十六回国際蘭亭筆会書法展」は、「沖縄・宮古島展」として12月8日から12日までの5日間、宮古島市立総合体育館を会場に同市を本拠とする「第7回真太陽国際書道展」との合同展として開催された。(次号で詳報)
 また、同展主催の日本蘭亭筆会(東南光理事長)では、開催に合わせて例年通り実施した「’10 蘭亭筆会の旅」の途次、沖縄本島で古琉球時代の古碑めぐりを行ったので、新年の紙上企画として、那覇の沖縄県立博物館の協力も得て「琉球古碑10選」を編んでみた。(本紙4、5面にグラフ)
 ◇ ◇ ◇

 史書によれば、古琉球は千年以上昔から国家らしきものがあったといわれるが、文字がなく記録が残っていないので、ほとんど実態は定かではない。
 編年された琉球史は12世紀の舜天王の即位に始まっているが、源為朝の子孫といういい伝えがあるくらいで、ほとんど伝説の域を出ない。
 13世紀の英祖は、現在も残る浦添城(グスク)に「浦添ようどれ」という墓が残り、英祖の後裔である14世紀中葉の察度王が、初めて中国・明の史書に名を留めている。
 こうして浦添地域を中心に勢力を伸ばした「中山王朝」が、北部の北山王、南部の南山王を平定して統一王朝を築くのは十五世紀のことで、このため今に伝わる琉球古碑は、十五世紀のものが最も古いとされる。


 この初期の琉球王朝が当時の日本の室町幕府と密接な交流をもっていたことが、琉球固有の「仮名文字碑文」の存在や、実物が残る仮名書きの行政文書に見て取れるとは、郷土史家だった渡久地龍雲氏(かつて那覇で龍雅会を主宰=故人)長年の持論であった。
 室町幕府では、将軍はほとんど実務に携わらず、女官が全てを代行していたとは、史書の伝えるところである。


 あるいは、この仕組みを狎菴癖顕臭瓩箸靴憧櫃里澆靴燭里任△蹐Δ、当時の琉球王朝では実権は王妃が握り、王妃が外出するときのお付きの隊列もすべて女官だったと、朝鮮時代の古文書に「見聞記」が残るそうである。
 いま、博物館で見ることができる「仮名書き辞令書」の存在は、まさにそのことを今に伝えているといえるだろう。


 琉球に残る最も古い石碑は、「安国山樹花木之記碑」(高114臓砲如■隠苅横掲の建立である。
 琉球にはない中国産の輝緑岩を用い、「首里城の外の安国山の北に池を掘り物見台を築き、様々な花や木を植え、政務の休息の場所とした」などと刻まれている。
 しかし、磨滅がひどく、ほとんど判読不能で、原碑は沖縄県立博物館に収蔵、展示されている。


 「円覚禅寺記碑」(高166臓砲錬隠苅坑掲の建立で、同寺が当時3年掛りで建立された経緯が漢文で記されている。
 碑首には日輪と瑞雲、鳳凰文があしらわれている。
 原碑は戦災で失われ、拓本と残石が残るのみである。


 「たまおとんのひのもん」(高88臓砲蓮■隠毅娃映の建立。
 王家の陵墓、玉陵「たまおとん」の外庭に建てられた碑で、被葬者9人を規定した内容だが、現在知られている最古の平仮名による琉球文で記されている。


 「真珠湊(またまみなと)碑文」(高145臓砲蓮■隠毅横嫁の建立。
 守礼門東を起点として湊に至る真玉道と真玉橋の建設を記念した碑。
 工事の完成の喜びと、軍事道路としての役割の重要性などを、仮名文字で記す。
 現在は碑首のみが残り、これも県立博物館に展示されている。


 「国王頌徳碑」(高187臓砲錬隠毅横嫁の建立。
 当時の尚真王の業績を称えた碑文で、仮名文字と漢文が併用されている。
 それまで行われていた殉死を禁じた内容が、歴史的にも興味深い。
 原碑は失われ、拓本のみが残る。


 「崇元寺下馬碑」(高142臓砲蓮■隠毅横掲の建立。
 同寺の東と西の門前に建てられた碑で、2基ある。
 表は漢文、裏は仮名文字を主体にした琉球文が書かれている。
 西碑は戦災で破損。


 「ようどれのひのもん」(高85臓砲蓮■隠僑娃嫁の建立。
 尚寧王の命で浦添ようどれ(陵墓)を重修した時の記念碑。
 古琉球の平仮名碑文の形式を伝える最末期の碑とされる。
 仮名書きが表で、裏は漢文で同内容を記す。


 「三府龍脉碑記」(高167臓砲蓮■隠沓毅闇の建立。
 王都の名護遷都論や運河構想に対して、風水論から批判した内容。
 表は漢文、裏は同内容を候文で記す。
 戦災で壊れ、名護市内にレプリカが建つ。


 「育徳泉碑」(高89臓瓧隠牽娃闇)と、「甘醴延齢碑」(高93臓瓧隠牽械固)は共に、那覇市内に今も残る王家の別邸で名勝として知られ、大陸からの使者(冊封使)をもてなしたこともある「識名園」内の、名泉に題した碑。
 育徳泉碑には「趙文楷」と冊封正使の名が刻まれ、甘醴延齢碑にも同じく冊封正使林鴻年の名が刻まれている。


 以上、紙上企画として「10選」と銘打った手前、10碑を選んで図版で紹介してみたが、これが「書的」に優れている猯圧緻照雖瓩離肇奪廝隠阿箸いΔ錣韻任呂發箸茲蠅覆ぁ
 舞台裏を明かせば、単に現地では著名で、県立博物館に画像のストックがあって貸し出しを受けられたものを中心に、多少の現地での知見を加味して編んだものである。


 ただ、戦前には「かな書の傑作」として全国に広く紹介された「仮名書き碑文」もあるということだから、これを契機に古琉球の書道文化にももっと目が向けられれば、望外の幸せである。
 なお、同博物館では1993年に「刻まれた歴史ー沖縄の石碑と拓本」と題する企画展を開催しており、同展のために編まれた図録も大変よくまとまっているが、館のミュージアムショップでは、既に品切れとのことである。(か)



(書道美術新聞 第952号1面 2011年1月1日付)



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