(1)      (昭和51年6月7日第三種郵便物認可)美術新聞社報 平成29年(2017) 11月22日(水曜日)
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吉林省集安で”第2の好太王碑”新発見
掲載日: 13年02月01日

鴨緑江支流の河原で
3例目の高句麗碑
洗練の隷書、好太王碑と合致



 中国の吉林省集安市でこのほど、朝鮮半島三国時代高句麗の石碑が新たに出土し、中国と韓国の関係各界で大きな話題となっている。
 
 このニュースは、今年1月4日に発行された『中国文物報』(北京)所載の記事を情報源に1月15、16の両日、韓国各紙が一斉に報じたもので、発見場所は名高い好太王(広開土王)碑のある、「高句麗前期の都城と古墳」として世界文化遺産に登録されている一帯の南西部、好太王碑からは約10キロメートル離れた、鴨緑江に注ぐ麻線河の河原という。
 
 高句麗の石碑はこれまで、好太王碑と半島中部、韓国忠清北道忠州市にある「中原高句麗碑」が知られていたに過ぎず、第3の高句麗碑の出現は半島・列島の書道史研究にも大きな影響をもたらしそうだ。

 ◇ ◇ ◇

 新発見の石碑は、年代的にも好太王碑とほとんど同時期と見られ、碑文の内容にも通じる部分があることから「第2の好太王碑」といってもよさそう。
 
 現地での各紙誌の報道を総合すると、現状のサイズはタテ約173臓幅約66臓厚さ約21造如下部に基台に差し込まれていたと見られる20村紊瞭裕をもつ。
 
 総重量は約464銑帖
 
 
 右上部分が少し欠損しているが、平滑に加工された碑面に刻された碑文は1行22字で、10行にわたり計218字が刻されている。
 
 碑面上半はかなり磨滅が進んでいるものの、下部は比較的良好な状態で、既に140字前後が解読されている。
 
 碑背にも文字の痕跡が認められるが、磨滅がひどく、意図的に破壊した形跡もあるという。
 
 
 書体は洗練された隷書で、これにより好太王碑と合わせて、隷書が当時の高句麗の公式書体として用いられていたことがより確かになったといえる。
 
 
 その釈文は、現段階では、
 
 □□□□世必□天道自承元王始祖鄒牟王之創基也/□□□子河伯之孫神□□□□蔭開国辟土継胤相承/□□□□□□煙戸以□河流四時祭祀然□□備長煙/□□□□煙□□□□□富足□転売□□守墓者以銘/□□□□□□□□□太□□□□□王神□□与東西/□□□□□□追述先聖功勲祢高悠烈継古人之慷慨/□□□□□□□□自戊□定律教□発令□修復各於/□□□□立碑銘其煙戸頭廿人名□示後世自今以後/守墓之民不得□□更相転売雖富足之者亦不得其買/売□□違令者後世□嗣□□看其碑文与其罪過

 と発表されており、王陵の煙戸(墓守)についてその利権の売買を禁じ、違反には罰則を課すことを明示するとともに、20名の煙戸を刻銘して後世に示すとしている。
 
 しかし、この釈文の範囲では、碑表の判読部分にはその人名が見当たらないところをみると、碑背に刻されていた可能性もある。
 
 
 そしてこの「煙戸」の記述が、好太王碑の第4面に「好太王が初めて歴代の先王のために立碑し、守墓煙戸の名を刻銘した」とある内容と合致しており、これにより好太王時代、または王の没後15年後に次の長寿王が都を平壌に遷すまでの間に立碑されたと推定されている。
 
 
 なお、碑の拓本写真は、今のところはまだ上掲のように極めて不鮮明なものしか公開されていないが、同碑に関する詳細な調査報告書も近く出版される予定という。



(書道美術新聞 第1000号1面 2013年2月1日付)


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