(1)      (昭和51年6月7日第三種郵便物認可)美術新聞社報 平成32年(2020) 2月29日(土曜日)
書道美術新聞【1面】
ソウルで「加耶」特別展開幕
掲載日: 20年01月10日

ソウルで「加耶」特別展開幕

28年ぶり狄圭仍駑銑瓩
今夏から 民俗博、九博で日本展も
 特別展「加耶の本質‐剣と弦‐」が12月3日、韓国・ソウル市の国立中央博物館・企画展示室で開幕した(3月1日まで)。同展は、古代朝鮮半島で高句麗・百済・新羅の「三国時代」に先立つ西暦紀元前頃から約600年にわたって半島南部の洛東江流域に割拠した小国群「加耶」(広義の任那=加羅、伽耶、駕洛、狗邪とも)に係る出土資料による企画展。同博物館での「加耶」をテーマにした特別展は、1991年の「神秘の古代王国・加耶」展以来で、実に28年ぶり。同展はソウル展後、4月から釜山博物館でも開催され、その後、7月から日本の国立歴史民俗博物館、10月から九州国立博物館での開催も予定されている。
  
 「加耶」は韓国では従来、高句麗、新羅、百済などに比べると伝存・出土資料が格段に少なかったが、ここ30年ほどの間に韓国南部を南北に貫流する大河、洛東江(「駕洛の東」に由来)下流域に残るおびただしい古墳群の発掘調査から大量の遺物が出土し、研究も進んだことから、今回の特別展が企画されたとされる。
 朝鮮半島南部は西暦紀元前後から、いわゆる三韓(馬韓・辰韓・弁韓)と呼ばれる、言語や風俗などに異なる特徴をもつ地域ごとにそれぞれ結束して相互に対立する構図が出来上がっていった。その半島南部西側に位置したのが馬韓で、東側に位置したのが辰韓、中間に位置したのが弁韓である。
弁韓の狆国連合
 そして半島北部に1世紀に高句麗が成立し、その後4世紀の初めまでにはこれに対抗する形で馬韓地域に百済が、辰韓地域に新羅が成立して、「三国時代」を迎える。これに対して弁韓では、高句麗の建国よりも早い紀元前の時期から小国が乱立、割拠の様相を呈し、風土的にも温和で、資源にも恵まれ、また古来海上交通の要衝の地でもあったことから、百済や新羅のような統合強国をめざすことをせず、和合の精神でいわば小国連合を結成して馬韓や辰韓地域からの圧迫に対抗、存続を図っていたとされる。
 それを可能にしたのが、今回展の副題となっている「剣と弦」の「剣」で、加耶の小国群が割拠した地域は鉄鉱石の埋蔵が豊富な土地柄でもあったことから、加耶では早い時期から製鉄技術が根づき、鉄器の生産が盛んになったといわれる。その結果として、半島屈指の先端技術の結晶といえる鉄製の武器(剣)や甲冑類で軍馬まで重武装した加耶騎兵は無敵を誇り、周辺列強の圧力を跳ね返して小国連合を守り抜いた。
 一方、副題のもう1つの概念である「弦」は、加耶が大事にした「和合」の遺産と言える、現代にまで伝わる半島固有の伝統楽器「加耶琴」(カヤグム)の「弦」であり、従って「剣と琴は加耶の本質」と、本展主催者はその副題のゆえんを説明している。
好太王碑に狃藹亅
 「加耶」は現在の知見の範囲では、三国時代の高句麗で5世紀初頭に作られた「好太王碑」に「任那加羅」と出て来るのが初出とされ、日本書紀に「任那(ニンナ=みまな)」として出ていることはわれわれはよく知っているが、日本書紀がその注に典拠として示す「百済本記」が今に伝わらないので、確証はない。
 好太王碑の「任那加羅」条は、同碑の2面に「背急追。至任那加羅従抜城、城即帰服」とある部分で、高句麗が加耶によって攻められた経緯を伝えており、「三国時代」に狢茖感豊瓩箸靴董加耶が十分な存在感をもっていたことを窺わせる。
 ちなみに好太王碑は、近年の中国における本格研究でいわゆる「改竄(かいざん)説」が最終的に否定され、「倭以辛卯年来渡海破百残」の記述が広く承認されるに至ったことから、4世紀末(辛卯年=391)の列島と半島との交流関係も、今後さらに明らかになるものと期待されている。
 そして好太王碑に「任那加羅」の記録が残る直後の5世紀後半には、加耶は内部の勢力構造が百済などの関与もあって大きく変化し、「大加耶連合」の成立をみるとともに、百済、新羅など(大陸、列島ともか)との間でいわば爛僖錙璽押璽爿瓩鯏験したと言えるようだが、最終的には新羅の軍門に降り、加耶全域は新羅の版図に組み込まれて、加耶の歴史は幕を閉じている。562年のことである。
 また、列島の大和朝廷による、いわゆる「任那日本府」の経営自体は今日の学界では疑問視する見方が広がっているようだが、列島政権が加耶や百済、新羅に加担、あるいは介入する形で半島情勢に関与した事実は、好太王碑以外にも少なからぬ資料が残っており、今回展でもたとえば、加耶のある地域からは出土した土器の半数以上が弥生系・列島系となっているケースがあると展示報告されており、「倭人が集中して居住していた物証ではないか」と、説明されている。
 さらには、出土遺物として半島では産出しないヒスイ(硬玉)製の大量の勾玉(まがたま)の展示もあり、これは日本展を意識してのことかとも思われるが、「当時の列島と半島の交易や人的交流の実態を雄弁に物語っている」と、説明してあった。
4テーマで展示
 今回のソウル展は、。院■毅娃闇の間忘れられていた加耶のすべてに出合える、加耶は海路を通じて国際交易国へと成長し、多文化社会を追求、小国が共存しながら600年の間、和を保ってきた加耶、す發た綵爐寮重患蚕僂函∪形の美を誇る端麗な土器は加耶の先進文化の象徴、と謳い、展示は加耶の「誕生神話」(初代王が卵から生まれたという卵生神話や、王妃はインド出身の女性だったとする説話など)から始まり、「共存」、「和合」、「武力」、「繁栄」の4テーマに沿って、加耶の歴史と加耶が歩んだ道を紹介している。
 また会場は、単に遺物の陳列だけではなく、映像やジオラマなども多彩に活用して加耶の誕生から滅亡までを立体的に演出、描き出しており、臨場感あふれる展示で見応えがある。
 展示は、最も注目される出土遺物の1つ、加耶の最強の重装騎兵の姿をつぶさに今に伝える「騎馬人物形角杯」や、半島の三韓地域には存在しない岩石であるところからナゾがナゾを呼ぶ「バサ石塔」などをはじめ、約1、000点という膨大なもので、駆け足では到底見切れないほどの大規模展となっている
 そうした中には、往時の狗邪の地とされる半島南部の釜山の西方、50キロほどの昌原市にある古墳群、茶戸里(タホリ)遺跡から近年発見された、紀元前1世紀の前漢時代のものと判明している「筆」や、消しゴム代わりの簡牘を削る道具だったと見られている「書刀」の展示も、むろんあった。
ただ、この遺物などは加耶狃国瓩亮汰蠅鮗┐攻砲瓩撞重はものと思われるが、半島産ではなく大陸からの到来物ということもあるのか、棚の後ろの方でややもすれば見過ごしてしまいそうな控えめな展示だったなど、やや残念に思える部分も多少散見された。
圧巻の鉄製武器類
 一方、主催者側の意気込みを目の当たりにする思いの圧巻の展示はやはり、「加耶の優れた製鉄技術と鉄器製作技術の神髄を見ることのできる武器類のすべてを集めた」と誇らしげな刀剣や甲冑類の展示で、鉄製品で乾燥地帯でもない土地からの出土ながら、驚くほど状態がいいことに驚かされた。
 このほか、加耶狃国瓩任修譴召譴妨沈・固有性を備えていることが縷々説明されている「加耶土器」の展示も、多彩で充実しており、また加耶の工芸技術の水準の高さを示す金銅冠や、瑠璃製の装身具なども、注目すべき遺物となっている。
 本展・ソウル展に関する問い合わせ等は、+82‐2‐2077‐9045(同館・日本語案内)へ(ただし、ソウル展の会場での展示説明はハングルと英語のみで、日本語はない)。


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