風信帖(945)

 10年09月15日 | カテゴリ: ≪風信帖≫

 学校現場で「漢字かな交じりの書」の“古典不在”をかこつ声が聞かれ始めたのは20年ほど前だろう。平成元年版の高校学習指導要領が、従来の「漢字の書」「かなの書」の2分野構成だった書表現の指導にこの分野を新たに位置づけたことがきっかけだったのは、いまさらいうまでもない

▼一方で書壇では、既に昭和の初期から現代詩、現代文素材の書表現に取り組もうとする動きが澎湃として興り、特に戦後は一大運動ともなって書道の大衆化にも大きな役割を担ったことは、記憶に新しい。だが、そうした背景の中で文部省から突然新たな課題を突き付けられた教育界は、残念ながら書壇側の蓄積や努力ぶりにはほとんど目を向けようとせず、足並み揃えて「古典、古典」と無策の日々を過ごしてきた

▼そして、結局古典はないのだと分かったところで目を向けたのが近現代の文人たちの書で、教科書も光太郎、牧水、芙美子といった面々の書でお茶を濁してきたのが、実情ではなかろうか。そうした視点から今回の田宮文平、中野遵両氏の新刊を見ると、このいわば“深くて暗い川がある”書家の書と文人の書の間に、橋を架けようとする壮挙といったら、ちと褒めすぎ? でも、本紙は一応そう評価しておく。

(書道美術新聞 第945号1面 2010年9月15日付)




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