風信帖(1110)

 17年11月15日 | カテゴリ: ≪風信帖≫

 世界記憶遺産に、日本関係の2件が同時登録される

▼「朝鮮通信使」が日韓歩調を合わせた運動の結果、登録に至ったということも、快挙と言えよう。そして、韓国側に関係の記録や資料がほとんどないので現実味は乏しいのだが、実は「上野三碑」の登録も、世が世なら両国が協調して進められる案件のはずだったと思わずにいられない

▼よく知られているように、群馬の三碑も、栃木の「那須国造碑」にしても、当時の半島・新羅からの渡来人の知見や技術に裏づけられたものであったことは、今や学界の常識だからである。かつて、わが大和朝廷は伝統的に近親関係にあった百済寄りの対外政策をとっていた。だから押し寄せる多数の渡来人や難民については、百済人は武蔵国辺りまで、一方の新羅人はより遠くの上野(群馬)、下野(栃木)、常陸(茨城)への入植が相場だったらしい

▼記録によれば、推古天皇の601年、新羅の間諜を上野に流したのを手始めに、斉明天皇の660年には百済の100余人を美濃に、持統天皇の687年には新羅の14人を下野になどとあり、千人単位の入植も一再ではなかった。しかもこれらの入植者には3年間、職と住を保証して生活の安定を図ったというから、見事というほかない。

(書道美術新聞 第1110号1面 2017年11月15日付)




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