風信帖(1097)

 17年04月15日 | カテゴリ: ≪風信帖≫

 中国で、当時の茶に関する知見が網羅された『茶経』が編まれたのは、8世紀の唐でのこと。そういえば「武則天」のドラマでも、茶は盛んに飲まれていた。そして列島では、遣唐使が茶葉を持ち帰り、それが献上されて宮廷で嵯峨天皇が愛飲したなどの記録もあるようだが、唐代の喫茶法が列島に根づくことはなかったらしい

▼列島における茶祖(?)というべきは臨済の僧、栄西だと言い、宋で盛んだった喫茶法を伝えると共に、茶樹の種子を持ち帰った。今に至るも列島の茶樹のDNAは全て栄西の種子につながっているというから、驚きだ

▼それにしても、こうして千年近くも前に大陸から学んだ「喫茶法」を、固有の感性と美意識で磨き上げ、今や世界から日本文化の象徴とさえみなされる「茶の湯」の文化に昇華、深化させた歴史は、無条件で胸を張れる気がする

▼そしてまた、その「茶の湯」文化の中で墨跡が、そして書が特別な居場所を与えられたことは、もちろん書にそのような価値、資格があったればこそとは言え、逆にもし列島に「茶の湯」の文化が興らなかったら、列島における書の歴史も多少違ったものになっていたかも知れない――。東博の「茶の湯」展の会場で、しみじみ思ったことである。

(書道美術新聞 第1097号1面 2017年4月15日付)




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