風信帖(1064)

 15年11月15日 | カテゴリ: ≪風信帖≫

 小野寺啓治さんが亡くなった。彼は私より4つ上だから、兄貴と言えば兄貴ではあるのだが、私は彼を兄貴分扱いしたことはない。まあ、いわば戦友、同期の桜という感じである

▼学習院大の大学院で美学を専攻した彼が、学生時代から打ち込んでいた「民芸」の研究から「書道」評論へ転身を志し、学習院時代の恩師の富永惣一氏に相談を持ちかけたのが昭和47年頃、彼が36歳頃のことで、その富永さんが東大の後輩の、当時東博の美術課長だった千沢麓さんに相談

▼一方、私は当時、短大で西洋哲学や美学美術史を講じながら、美術年鑑社で《新美術新聞》の創刊に関わり、新聞の守備範囲を書にも広げようと、たまたま東博の書跡室長だった堀江知彦さんに相談していた。東博の両氏の仲人で、萱原‐小野寺ラインがつながるのに、さして時間は要らなかった

▼そしてそれ以後、《新美術新聞》の大判の紙面を毎月一頁、書に割くことにして、まさに2人3脚で、《新美術新聞》は書道界に船出したのだった。これが確か、昭和48年のことである。この続きは、そう、12月27日(日)に上野精養軒で催すことになった彼の「偲ぶ会」で、いろんな方々と話す機会があるだろうと思う。

(書道美術新聞 第1064号1面 2015年11月15日付)




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