風信帖(1053)

 15年05月15日 | カテゴリ: ≪風信帖≫

 村田慶之輔さんが亡くなった。3月半ばのことだったらしい。私が知ったのは5月になってからで、「故人の遺志」とあった

▼村田さんは10歳上で、文化庁から万博記念公園に出来た国立国際美術館の準備室長に転じ、開館後は同館で数々の名企画を手掛けて名を残した。晩年は川崎の岡本太郎美術館の館長を長く務められた。知り合ったのは文化庁時代で、私は《新美術新聞》の編集を始めた頃だった。美術界の右も左も分からなかった時分で、随分いろんなことを教えてもらった

▼もう時効だから話せるが、私の新聞人生で最大のスクープ、「モナリザがやって来る」のキッカケも村田さんだった。モナリザが日本に来たのは昭和49年の春のことだが、私がつかんだのはその前年の1月だった

▼だが、フランス政府のOKを取り付けたのがどこだか、はっきりしない。某紙らしい、としか分からない。一計を案じた私は、まず自分の新聞に20行ほどの小さな記事を書いた。その記事に某紙がどんな反応をするかを見極めてから、週刊文春の友人にネタを流し、同誌の4頁のスクープ記事につなげたのだった。後日談だが、このスクープで某紙が釣りかけた大物を逃す結果になったのには、ちょっと胸が痛んだ…。

(書道美術新聞 第1053号1面 2015年5月15日付)




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