風信帖(1006)

 13年05月01日 | カテゴリ: ≪風信帖≫

 「臨書とは模倣ではない。古典に対して、自分の態度を堅持しながら行うことに意味がある」「ところが多くの人は、形質ともに原書に没入することを目的としているかのようだ。これではモノマネの作業にすぎない」と、青山杉雨氏は力説している

▼「書論キャッシュ」を売り物に華々しく登場した《千書万香》11号の巻頭特集、「誌上仮想シンポ」の冒頭は、青山氏の狃駭性瓩任△襦「過去の作家で優れた書を残した人々のやってきた臨書というものは、今日の人々がやっている臨書とは大分質的内容が違う」「王鐸が王義之を臨書したものなどをみると、甚だしきは行書で書かれた部分を草書で書いている」「それでも王鐸が王義之の臨書だと言い張り得るところに、彼の臨書に対する態度がある」。そしてこう断ずる。「そうした態度で古典を捉えてこそ、臨書は全く新たな創作を導き出すものとなる」「臨書が作品としてのジャンルを獲得できる」(以上要約)

▼ここで青山氏の「臨書論」を持ち出したのは、昨秋から本紙で連載を始めた臨書講座への反応の低調ぶりに、総監修の小川東洲氏の危機感が深いからである。小川氏は、今臨書を立て直すことこそが、現代の書の立て直しに通じるのだと、熱っぽく説く。

(書道美術新聞 第1006号1面 2013年5月1日付)




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