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掲載日: 12年07月01日 | カテゴリ: トップ記事

墨書木簡、大量出土
6世紀 三国時代
列島木簡に100年先行も

 一級資料、とりわけ肉筆の書蹟や法帖類の伝存の乏しさから本格研究がいまだに大きく立ち遅れている古代(三国〜高麗期)の朝鮮半島の「書芸史」研究に曙光がきざし始めている。
 
 近年半島では、国家プロジェクト的な規模の考古学発掘調査が各地で進められており、これに伴って、まだ数量的には総数約500点と決して多くはないものの極めて資料性の高い墨書をもつ木簡の出土が相次いでいるためで、これらの資料は今後の列島「書道史」の研究上にも大きな影響を与える可能性があり、今後の半島における新出土情報には目が離せなくなってきている。 (本紙5面に関連記事)
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 半島での木簡の出土は、戦前の1点を別にすると、1975年に慶州市の雁鴨池遺跡から8世紀のものと推定される木簡が発見されたことを嚆矢とするが、同木簡は点数も100点に満たず、墨書をもつものも約60点に過ぎなかった。
 
 そしてその後も各地の遺跡から20件近い出土例はあったが、いずれも数点から数10点規模でしかなかったこともあり、一方の列島における平城宮跡出土木簡の約20万点、全国の地方官衙跡や寺社からの出土を加えると30万点超という規模に照らしても、特に文字資料、書蹟資料としての注目度は必ずしも高くなかったといえる。
 
 
 しかし、この状況を一変させたのが「咸安・城山山城木簡」の出土で、数量的にも246点(2009年現在)というまとまった規模で、うち193点に墨書が確認され、さらにこれについて日本の早稲田大・朝鮮文化研究所が共同研究に乗り出したことで「報告書」の日本語版も出版されるに及び、我が国でも急速に関心が高まるところとなっている。
 
 
 特に同遺跡の出土木簡は、[鹽腓能佚擇靴討い訛舂未量擺覆藩囘咾篝因に類似したものが多い、⇔鹽臀佚擇量擺覆茲蠻代的に100年以上先行するものが出ている、等の理由から、今後列島の書道史研究にも大きなインパクトを与えるものとなりそう。
 
 
 ここに半島各地における新出土木簡のサンプルをご紹介するが、このうち 銑は6世紀半ばの咸安・城山山城木簡、い錬鏡さ初頭の百済の扶余出土・陵山里寺址木簡、イ錬供腺契さの慶州・月城垓字出土木簡で、それぞれ地理的にも年代的にも大きく隔たっているものである。
 
 このほか、紙面の都合で紹介はできないが、地理的に数百キロ離れた半島南部の釜山近郊と、ソウル近郊の仁川からの「論語」を書いた習書木簡の出土など、話題性にも富む事例が種々報告されている。



(書道美術新聞 第987号1面 2012年7月1日付)



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