杉岡華邨氏死去

掲載日: 12年03月15日 | カテゴリ: トップ記事

杉岡氏“散らし研究”で一家
5月6日にお別れの会
「文学と書」研究にも巨歩


 平安古筆に対する深い造詣と磨き抜かれた卓抜な書技に裏打ちされた固有の質朴な味わいのかな書を確立して一家を成し、文化勲章に輝いたかな書壇の最高指導者で日本芸術院会員の杉岡華邨氏(すぎおか・かそん=本名正美)が3月3日午前1時16分、心不全のため奈良市内の病院で死去した。98歳だった。葬儀は3月6日、近親者らで営まれた。
 
 5月6日午後1時から、大阪のリーガロイヤルホテルで「お別れの会」が催される。喪主は夫人和子氏。
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 杉岡氏は大正2年3月6日、奈良県吉野郡下北山村生まれ。師範学校を卒業後、奉職した地元の尋常小学校で習字の授業研究を命じられ、文検受験に向けて本格的に書の勉強を始めたのが、書の道に入ったきっかけ。
 
 
 文検合格(昭和15年)後は、漢字を辻本史邑に、かなを尾上柴舟に師事。高等女学校教諭を経て、戦後は大阪師範学校に勤務し、昭和26年からは文部省の内地研究員として京都大学文学部に留学、王朝文学などを深く学んだ。この時に研究テーマとして選んだのが「王朝文学にあらわれた日本書道について」で、これは終生の研究テーマともなった。
 
 
 26年日展で初入選を果たし、32年日比野五鳳に師事。翌年には「香久山」によって日展特選を受賞(2回目の特選は36年)。この師五鳳との出会いによって、古典学習の幅が大きく広がったという。一方で、哲学者・久松真一、美学者・井島勉らにも私淑。禅思想にも惹かれ、数年間にわたり参禅も体験している。
 
 
 その後、53年には日展文部大臣賞、58年には日本芸術院賞を受賞。平成元年には日本芸術院会員に就任し、7年に文化功労者、12年には文化勲章。同年、奈良市内に奈良市杉岡華邨書道美術館の開館を果たした。
 
 
 その書は、初期は柴舟譲りの「粘葉本和漢朗詠集」の影響が強いものだったが、その後徐々に主調となるのは「寸松庵色紙」などの散らし書きに学んだ構成美に、和様漢字書のダイナミックな表現をも加味した独創的な書風で、さらに60歳を超えてからの滋味を帯びた枯淡な味わいが醸し出された書はとりわけ高く評価され、後進にも強い影響を与えた。
 
 
 氏は書の理論研究にも熱心で、上代様かなの紙面構成の分析を試み、とくに散らし書きの類型分類は高く評価されている。かなの発展史についての論文も多く、「源氏物語」などの王朝文学において、かな書が繰り返し言及されることに着目、文学と書との関連についての研究はライフワークとなり、19年には『源氏物語と書生活』をまとめ上梓している。
 
 
 また、長く大阪教育大学で教鞭をとったことから、書道教育にも深い見識をもち、書が人間形成に重要な役割を果たしうることをつとに強調、書道教育の振興に向け書壇が総力を挙げて結成した日本書道教育会議では、議長を務めた。主な著作に、『古筆に親しむ』、『寸松庵色紙』、『書教育の理想』などがある。
 
 
 95歳となった20年(2008)には成田山書道美術館で「成田山新勝寺開基1070年祭記念杉岡華邨展」を開催、最近は間近に迫った“百歳記念”の個展開催にも意欲を燃やしていた。
 
 
 作品の多くは、奈良市杉岡華邨書道美術館(筍娃沓苅押檻横粥檻苅隠隠院砲房蔵されている。



(書道美術新聞 第980号1面 2012年3月15日付)



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