「道教の美術」展開幕

掲載日: 09年08月01日 | カテゴリ: 書道美術新聞【1面】

「道教の美術」展王羲之も深く帰依
神仙思想の世界、日本初の本格展
東京・大阪ほかで順次開催



 漢から現代に至る二千年の間に東アジアの中国や朝鮮、日本などに残された作品約420点によって、「道教」の世界に美術の面から迫ろうとする「道教の美術(TAOISM ART)」展が7月11日、東京の三井記念美術館で開幕した(9月6日まで)。
 
 同展は東京展終了後、大阪市立美術館(9月15日〜10月25日)、長崎歴史文化博物館(来年1月23日〜3月22日)でも開催を予定している。
 
 「知られざる道教の世界」をメーンテーマとして日本では初めての道教関係の本格企画展となった同展の、「1中国古代の神仙思想」から「4古代日本と道教」「8禅宗と道教」などを経て、岡倉天心の「茶の本」における「茶は姿を変えた道教」という所説を軸にした「11近代日本と道教」、そして「12拡散する道教のイメージ」までの12章にわたり展開する内容は、随所に「書」との深い関わりも垣間見せて、すこぶる興味深い必見の展観。
 
 以下に、同展図録に大阪市立美術館主任学芸員の弓野隆之氏が執筆した「道教と書法〈漢‐唐〉」の論考を、同氏の許しを得て抄録してお届けする。


◆道教と書法〈漢‐唐〉(抄)  [ 弓野隆之 ]  

 道教の発祥を後漢の2世紀に見られる教団の形成期に置くとすれば、これに関わる書法作品も、同時代のものからすでに遺されている。
 順帝の時代(126−144)、張陵(ちょうりょう)は家人や弟子たちとともに四川省成都の南西にある鶴鳴山に入って仙道を学び、伝教活動を行った。
 信者に五斗の米を納めさせたことから「五斗米道」(ごとべいどう)と呼ばれ、のち張陵を天師と尊称したことから「天師道」ともいった。
 
 

初期の石刻群

 道教関係の石刻は、成都盆地を中心に存在している。
 成都から北西の★県(ひけん)には清末に発見された「延年石室題字」(133)、南東の簡陽市には「会仙友題字」(142)があり、後者は張陵が「天師」の称号を名乗り、蜀中に「二四治」という政教一体の教区政治制度をつくりあげる転機となった年の刻である。

 
 また、南西の洪雅県には瓦屋山という張陵の活動の拠点となった仙山があり、宋・洪★『隷続』によれば、県内の易俗★には「米巫祭酒張普題字」(173)があり、経を授け、道を施す天師道の具体的な儀礼が記録されている。
 洪★はこの題字について、「字画放縦(ほしいまま)、欹斜(ななめにかたむく)してほぼ典則なく、すなわち群小の書する所なり」という。
 典雅流麗な文人書法と異なり、法にとらわれない素朴な書風は前2件の題字にも共通する。

 
 一方、成都の東方では、冀州鉅鹿の張角(ちょうかく)が「太平道」を興し、自ら「大賢良師」と称して政治色を強め、数十万の信者を組織化していった。
 霊帝の中平元年(184)、張角は「天公将軍」と号して反漢の軍を起こし、各地の勢力が呼応して、全国は争乱状態となった。
 黄色い頭巾を着用していたため、「黄巾(こうきん)の乱」「黄巾起義」といわれる。
 これを記録した石刻もいくつか知られている。
 明代に陝西省★陽県から出土した「曹全碑」(185)には、「★賊張角兵を起こし、幽・冀・★・豫・荊・楊、同時に並び動く」と、全国に乱が広まった事実を記し、次いでその混乱した状況について述べている。

 
 話を四川に戻すと、先の洪雅県には青衣江が流れており、その周辺は羌族(青衣羌、青羌という)の居住地域である。
 「天師道」の教えはこうした民族にも浸透して、教団の勢力は強大なものになっていった。
 青衣江を北西に遡上していくと、雅安市を経て蘆山県に至る。
 その沫東鎮にあるのが「樊敏碑」(205)である。
 碑文には「季世不祥、米巫凶虐、続いて青羌蠢き、奸狡並び起き、諂附する者おおし」とある。
 四川では、張修ら「五斗米道」の信徒が反乱を起こした。
 これに羌族も加わったことがわかる。
 
 
 これらの2碑は、道教教団に率いられた農民起義を鎮圧した側の遺品であるだけに、堂々たる構造である。
 書法においても「曹全碑」は漢隷の傑作として、中国のみならず日本でも学書の対象として盛んに世行したほどの出来である。
 「樊敏碑」は篆書の筆法を残した朴訥な姿を示し、碑学派の書人に好まれた。
 
 
 黄巾の乱で一度弱体化した道教集団は、魏晋時代になると次第に政権との結びつきを強め、支配階級である士族たちの信仰をも集めるようになる。
 また「五斗米道」と「太平道」とは、「天師道」に統合されていった。
 晋に入ると、葛洪(284−363)が神仙思想や錬丹術を研究して、『抱朴子』『神仙伝』『隠逸伝』『金匱薬方』などを著した。
 真偽のほどは定かでないが、浙江省麗水市の南明山に、彼の書とされる題字「霊崇」2字が存する。
 
 

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