(1)      (昭和51年6月7日第三種郵便物認可)美術新聞社報 平成29年(2017) 11月19日(日曜日)
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〔interview〕井茂圭洞氏に聞く(上)
掲載日: 15年03月01日

井茂氏“世界遺産”へ推進母体
4月始動めざし、準備進む


 ――ちょうど2年前の3月でした。先生は日本芸術院会員に就任されたお祝いの会で、「かな文化」のユネスコ無形文化遺産登録の夢をご披露くださいました。書道界はあれを伺って大変元気づけられ、実現を楽しみにしております。構想は現在、どのあたりまで進捗しておりますか。

 井茂圭洞 「かな文化」のユネスコ登録の件については、実はちょうど今、本格的な活動をスタートさせようと動きだしているところです。つい先日、1月末のことですが、東京で全日本書道連盟など書道界の関係機関のトップや書壇関係者が集まって会合を持ち、この問題に詳しい専門家の方からお話を伺ったり、計画の推進母体となる組織や人事などについて話し合いました。3月にもう1度会議を開いて詰めた上で、4月には記者会見をやって詳細を発表し、実際の活動に入る段取りです。

 ――そうですか。では、具体的な計画や今後の展望などは改めて伺うことにして、本日は、先生がこうした壮大な構想をお持ちになるに至った経緯などを中心に、お聞き出来ればと思います。

 ◇ ◇ ◇井茂氏が日本芸術院会員就任祝賀会で述べた“世界遺産登録”への“夢”を報じる本紙(H25・4)

 井茂 考えてみますと、やはり深山先生の教えからなんですね。高校生の頃か、大学時代だったかは定かでないのですが、深山先生から「私は書道を後世に伝える橋渡しをやっている。君もやってくれ」と言われたことがあるんです。また10年余り前ですが、「藝術院賞」を頂きました折、尊敬する彫刻の中村晋也先生から「君はまだ若いから、10年ひと仕事として、3つほど仕事ができるね」と励まされましてね。このたび「藝術院会員」にならして頂いて、改めて何か後世のために出来る仕事はないだろうか、やるべき仕事は何だろうかと思ったわけです。そんなところからですね。

 ――深山龍洞(みやま・りゅうどう)先生には、高校時代からですか。

 井茂 そうです。私は県立の兵庫高校に入って、字が下手だから何とかしようと書道部に入ったのが、先生との出会いでした。もともとは、子供のころに大病をしたこともありまして、医者になる夢を持っていたんです。でも、書に打ち込まれる深山先生のお姿に接し、いいなあと憧れ、医者よりも書道に進みたいと思うようになりましてね。

 ――では、高校時代からずっと深山先生からご指導を。

 井茂 いや、先生は、高校で専任になって欲しいと頼まれ続けておられたそうですけど、ずっと非常勤を通され、しかも「書一本に打ち込みたい」と、私が1学年を終えた時に高校を退職されてしまいました。そして後任に入られたのが、難波祥洞先生でした。ですから私は、高2、高3では深山先生の一番弟子の難波先生に教わったわけです。深山先生は、高校の先生だった時期からですが、当時盛んだった企業の社員教育の一環の書道教室などに熱心に出講しておられました。ほとんどボランティア、無給に近いお仕事だったようですがね。

 ――それはやはり、深山先生の書道普及にかける情熱によるものだった。

 井茂 そうだと思いますね。当時、先生の門下で高等学校の書道の教員免許を取得した者も私を含めて10人は下らないと思いますが、この一事にしても、先生のお考えの「書道普及」、「後世への橋渡し」に通じることだったのだろうと思うのです。


「君もやってくれ」
 深山龍洞先生の教え



 ――それで井茂先生も京都学芸大(現京都教育大)に進まれたわけですね。

 井茂 はい。ですが、当時難波先生はね、ご自身は書道が好きで熱心におやりになっていながら、私に対しては「本当に書道をやるの?」「大変だよ!」などと、繰り返しおっしゃってくださいました。私が医者を志して高校に入ったことを、ご存じだったからでしょうね。でも当時の私はもう、深山先生に出会って深山先生の一挙手一投足に心酔していましたから、難波先生のせっかくのご助言でしたが、耳を傾ける余地は全くなかったわけです。

 ――兵庫高校の書道部も盛んだったのですね。同校出身の書家には、どんな方がおられますか。

 井茂 そう、たとえば早くに亡くなりましたけど池内艸舟先生の女婿で、一東会でご一緒だった池内立明先生や、一先会で理事長を務められている横山煌平先生、深山先生の甥御さんで、現在筑波大学大学院教授の森岡隆先生などですね。

 ――学生時代は。

 井茂 高校生のころは、受験勉強もありましたし、深山先生のところには展覧会のときにご指導を受けに行った程度ですが、大学時代はもう毎週先生のところに通う生活になりましたし、教員免許をとる勉強もありましたから、書道に熱中して過ごしました。

 ――卒業後は、学校に就職されるのですね。

 井茂 そう、女学校でしたね。初任給が1万8千円でしたが、それを知った父が、家の仕事を手伝えば20万円やるからって言うんですよ。

 ――どんなお仕事だったのですか。

 井茂 うちは神戸の中央卸売市場でね、青果の仲買人をやってたんです。当時は市場も活気がありましたからね。その仕事は弟が継ぎましたが、だんだんいわゆる産直なんかも進みまして、神戸の街の規模では中央市場も立ち行かなくなり、弟も廃業してしまいました。

 ――女学校には、どれくらいお勤めだったのですか。

 井茂 丸9年ですね。当時、日展に落ちましてね、昭和44年のことですが。これはもう、専念しなければいかんと、辞めたのです。

 ――当時既に教室もお持ちだったのですね。

 井茂 そうです。家内も学芸大出身なので、2人で教え回っていました。2人で、200人余りの子供たちを教えていましたね。

 ――京都教育大に勤務されたのは。

 井茂 昭和52年です。増田節堂先生の後任でした。助教授で入って、その年に新入生として入学してきたのが、現在一東書道会の理事長をやってもらってる舟尾圭碩君です。でも、京都教育大時代の教え子で弟子というのは、舟尾君1人なんですよ。私は、京都に教室を持っていませんでしたしね。

 ――日展でのご経歴は。

 井茂 日展では、昭和52年と54年に特選を頂いて、55年が無鑑査、56年から58年が委嘱、59年に新審査員を務めました。60年に会員になり、平成5年に会員賞、13年に大臣賞を頂きました。


競書誌犇飢塀餡臭
大同団結で赤字回避を



 ――そして、15年(14年度)に日本芸術院賞をお受けになり、24年に会員におなりになったわけですね。で、これから3つほど大仕事をなさる、その1番目がユネスコ登録だとして、ほかにどんなことをお考えですか。

 井茂 私が今、つくづく考えているのは、世の中はもう三井銀行と住友銀行が、あるいは新日鉄と住金が合併したりと、かつては熾烈な競争相手だった同士がどんどん手を結んで、無駄を省いたり効率を上げたりして生き抜こうとしている時代だということです。ですから、書道界も他人事ではありません。これからは、もっと連携とか大同団結とかも考えて、未来を見つめてやっていく必要があるんじゃないかと思うんです。

 ――たとえば。

 井茂 いま、私の立場でそれを軽々に申し上げるのは困難ですが、でも例えば、書道界に今も昔も沢山ある競書雑誌ですね。私のところも出していますけど、昔は十分利益も上がって、会の支えになっていたものです。しかし、会の会計から雑誌の赤字を補填しなければならない時代ですよ。今では、そういう会も決して少なくないでしょう。ですから、もし漢字の会と、かなの会とか、もちろんかな同士でも、やれるところはあると思うんですね。競書雑誌の大同団結は、現実味のある考え方ではないでしょうか。

 ――でも書道界では、多くの競書雑誌が機関誌として発行されていますよね。

 井茂 そう、そこが問題なんです。もう、会の機関誌という考え方は捨てる時代じゃないかと思う。そして競書雑誌を、いわば学校の教科書のような存在のものにしていく。機関誌が必要なら、別に出せばいいんですからね。そのような考え方の出来る雑誌同士が、例えば5千部と5千部が一緒にやって1万部の雑誌になっても、経費は大して増えるわけじゃありませんからね。そうすれば、利益も十分出ますから、それをお互いに分け合って会の活動に使えるわけです。練成会とか、会の活動は、今まで通り別々にやればいいんですから。

 ――書道界も、意識改革が必要ですね。

 井茂 そうなんです。今は少子化とか、書道人口が減っているとか、いろいろありますからね。現時点でスリム化出来るのは、競書雑誌のところだけだろうと思います。もちろん、口で言うほど簡単ではないとは思いますけど…。でも、錆びついた意識を変えることは、今の時代にみんなが求められていることではないでしょうか。

 ――それではこの続きは、4月になりましたら、ユネスコ登録の件を中心にお伺いしたいと思います。本日は、ありがとうございました。(か)



(書道美術新聞 第1048号1面 2015年3月1日付)


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