(1)      (昭和51年6月7日第三種郵便物認可)美術新聞社報 平成29年(2017) 11月18日(土曜日)
書道美術新聞【1面】
[特集]「中国における写字・書法教育と現代書の状況について」
掲載日: 08年01月15日
書道美術新聞【1面】

「中国における写字・書法教育と現代書の状況について」

首都師範大学 文学院副教授 高恵敏
全国大学書道学会<秋田大会>記念講演(抄)


 昨秋(平成19年10月20日)、秋田大学で開かれた全国大学書道三学会〈秋田大会〉での「書道学会」大会における中国・首都師範大学文学院副教授の高恵敏(阿敏)氏による記念講演は、現代中国の書法界・書法教育界の最新情報をストレートに伝えた内容で、大きな反響を呼んだ。そこで以下に、同講演の通訳を務めた秋田大・長沼雅鵬教授のご協力による翻訳メモをもとに、紙面の許す範囲で講演内容を抄録してご紹介する。(文責:編集部)


 ◇ ◇ ◇

 秋田大学の長沼先生から、現在の中国における書法活動と書法教育の情況について話をするようにとの要請を受けました。しかしテーマは余りに大きすぎ、短時間ではとても困難ですので、ここでは日本の現状と大きく異なると思われる部分に絞って、少しお話しすることにします。


 なお、お話しする内容は私の個人的、私的な印象に基づくものであることをお断りしておきます。



中国の書法界の現況

 書法は、いうまでもなく中国の伝統文化であります。現在、その表現形式はまことに多種多様で、百花繚乱のごとき様相を呈しています。展覧会活動はもちろん大変盛んですが、それ以外にも多くの書法活動が行われています。それは民間企業の儀式等の小規模の場から、国家レベルの行事、例えばオリンピックの宣伝活動等に至るまで、書法家による席上揮毫会は実に頻繁に行われています。


 企業の営業活動、たとえば商品の発表やブランドの宣伝などにも書法家や水墨画家がよく招かれ、現場で席上揮毫をします。それが新聞に紹介されたり、テレビに映ると場面が一層にぎやかになり、公衆の注目を集めます。


 その場で揮毫した人はより有名になり、その影響力も大きくなります。ですから現在、たくさんの役者たちも進んで書家の列に加わっています。たとえば漫才の姜昆、亡くなった馬季、歌手の郁鈞剣、寸劇役者の趙本山、俳優の唐国強、張鉄林らもまた、至るところに「墨宝」を残しています。彼らの名声は書法の専門家よりも大きく、彼らの作品の値段も一般の書法家より高いようです。たとえば、趙本山が最近書いた「天道酬金」の四字作品は、オークションで43,000元(約65万円)の値がつきました。実に1字16万円です。


 政府の官僚の中にも、書法の好きな人がたくさんいます。例えば、前の中国人民銀行局長で現在中国銀行監督局主席の要職にある唐双寧は、書法専門誌に多くの作品や論文を発表しているだけでなく、北京大学、精華大学等で専門的な講義も行っています。また退職した副総理の李嵐清も最近書法展を開き、篆刻作品集も出版しました。当然全国的な注目を集め、大評判になりました。


 書法作品の収蔵もまた、大変なブーム状況です。一定の名のある書法家は皆、それぞれに安定した作品価格を持っています。作品の価格は、一般的にはその大小で計算されます。作品はオークションで買うことができますが、書法家の家に行って直接交渉することもよくあります。


 社会的なニーズが非常に大きいので、最近書法家は非常に忙しいです。特に名のある書法家は社会的な活動もたくさん求められるので、分身が必要なほどです。ですから、日本の有力な書家の方々のように、大学で学生たちに講義をしたりすることはなかなか難しいのが実情です。むろん、それを専門にしている教師たちは別の話ですけれども。また、一部のレベルの低くない書法家たちは、中央の中国書法家協会に参加していてもいなくても、各方面のリーダーたちや企業との関係が非常に良好で、作品を書く機会にも恵まれています。それだけ名声も大きくなり、収入にも見るべきものがあります。



中国書法界の組織

 現在、政府が関与する書法の指導機構としては、まず国家機関の「文聯」の傘下に中国書法家協会(以下中央協会)があります。そして中央協会の下部機関として、各省市地県のそれぞれに、しっかりした組織をもつ各級の分会(地方協会)があります。中央協会と地方協会は、非常に多くの会員を擁しています。当然、国家クラス、省市クラス、地県クラスの会員はレベルが同じではありません。従って、多くの省市クラスの会員は中央協会の会員に上りたいと思い、これを努力目標にしています。


 また非常に多くの人たちは、レベルは低くないにもかかわらず、中央・地方の「書法家協会会員」の称号を得る機会がありません。そこで彼らは、思い思いに自分たちの協会を作っています。例えば、交通部書法家協会、中国科学院書法家協会等々です。企業や機関の各部門でも書法家のいるところでは、それぞれに独自の協会を作り会員を擁しています。それ以外にも、書法同人や自己組合的な協会も非常に多くなっています。例えば、某々青年書法家協会といったもので、それらは皆、独自の主席、副主席、理事、会員らを擁しています。これらの協会は実に多種多様で、性格も決して同じではありません。役員や会員の大部分は余技でやっている人たちです。しかしその人たちは皆、その協会のリーダーになりたいという願望を持っています。そうやって、自分の書法家としての身分を明確にしたいのです。


 中央協会の会員数は現在、8,000〜9,000人ほどです。もちろん国家的な組織ですが、その各会員間の書法のレベル差は非常に大きくなってきています。最近の中央協会の最高レベルは、啓功氏、沈鳳氏らが主席を務めていた時代とは様変わりしてきて、政治色が急速に強くなってきました。ですから、社会の「書法家協会」のリーダーたちに対する書法専門家としての尊敬の念は、どんどん低下しています。それは一面では、非常に多くの、書法については素人である政府の官僚らが協会のリーダーになっていることが主因です。また、最近は中国でも民主化が進み、かなり自由に批判ができるようになってきたことも関係しているといえます。



書法の展覧会の状況

 今日、中央協会の名前で行われている全国的な展覧会には、多くの形式があります。例えば、4年に1度の「全国書法篆刻展」、2年に1度の「全国中青年書法展」などが開催されています。しかし近年、全国の多くの昔からの協会会員たちはこれらの展覧会の在り方に不満を持ち、出品しなくなってきました。そのため、これらの書法専門家の会員を対象とした新たな「蘭亭書法展」なども開催されていますが、出品する人はそう多くはありません。これら以外にも、毎年1回あるいは数回開かれている全国的な専門展として、例えば「対聯書法展」、「扇面書法展」、「楷書展」、「行草展」、「篆刻展」等々があります。


 これらの展覧会での入落は、協会の権威ある審査員の投票によって決まりますから、入選するのはそう簡単ではありません。審査員たちも、いろいろな方法で入選の公平さを保とうと努力しています。しかし、入選を希望する人たちは非常に多いし、レベルもまちまちですから、どの展覧会においても毎回、非常に多くの不満の声があがっています。そして公開の場で、審査員たちの見る目を、あるいは書法のレベルを疑う意見を表明する人たちが増えています。なぜなら、いまでは誰でもインターネット上で論議や意見を発表する機会があるので、共鳴する声も起こりやすいのです。


 また、インターネット上の展覧会も非常に便利になってきています。現在中国では、書法の有力なインターネットサイトだけでも十数サイトあります。小さなサイトは数え切れないほどあります。それらに毎日おびただしい新作品が、人々のアクセスを、参観を期待して発表されています。さらに全国各地で開かれる展覧会も、非常に多くなっています。そうした中には、個展や同人展もあります。あまりに多くて、ほとんど人の目に触れる機会のないものさえあるほどです。



現代中国書法の書風

 書風から見ると、中国の書法には数十年前と比べ根本的な変化と発展が見られます。総じてその特徴をいえば、仝沈が模倣に変わった現代が守旧を超えた7措阿技術よりも重要視されるようになった、などといったことでしょうか。


 中央協会の「全国中青年書法展」は「全国書法篆刻展」よりは開放的で、現代化されています。また、「流行書風展」といったものが生まれています。この種の展覧会で発表される作品は、書風がまことに粗雑怪異で、しかも衝撃力があります。伝統的で平板な作品からすると、ある種強烈な対抗力、反撃力が見られるといっていいでしょう。


 書法がこのように日々多元化しているので、少なからぬ書法家が在来の書法の組織と形式に不満を抱いています。書法に対する審美的傾向と審査基準にも、厳しい対立と分化が起こっています。非常に個性の強い書法のリーダーたちは、中央協会のリーダーの統制を離れて別個に大きな旗を掲げ、自分たちの門派を形成しています。例えば、書法篆刻家の王■と石開をリーダーとする「流行書風印風展」は既に3回の展覧会を開催し、現代絵画とデザインの要素を少なからず書法に溶け込ませた書風の作品で人気を博しています。劉正成は書法界のリーダーの地位を離れ、2007年に日本や韓国等の書家と連携して政府とは全く関係のない「国際書法家協会」を立ち上げました。


 古来書法は中国が源流ではありますが、その中国の書法も今や、日本などの現代的な感覚と傾向を受け入れつつあることは紛れもない事実です。とはいえ、社会民衆の心の中の書法は、今も基本的には二王と欧・顔・柳・趙、また蘇・黄・米・蔡らによる伝統的観念の支配の下にあります。ですから、溌剌大胆な現代的書法作品の書風には、多くの人々がこれは書法ではないと思い、受け入れがたいと思っています。こうした現代書法の乱れた状況が、書法の標準と書法家の在り方を非常に捉え難いものにしており、また書法に通じていない人々には、濁り水の中で魚を触るような状況を与えています。


 そして、このように、伝統的な観念に基づいた地道な努力をしない人でも天下に名を上げることができる状況は、同時に公衆、特に若い人たちに非常によくない影響を与えています。その結果、彼らの日常的な書の創作活動もすっかり様相を変え、まるでめちゃくちゃともいえるような姿をもたらしているのです。



今日の中国書法教育

 次に、今日の中国の書法教育に話を移しますと、こちらも実態は大変複雑です。総じていえば、一種の放任主義が蔓延し、各々が思い思いに取り組んでいる状況といえます。大学でも、小学校や中学校、高校でも、どこの地方で授業を参観してみてもすぐ分かることですが、その内容や重点が全く一致していません。観念の対立や目標の違いといったことはどこにもあるものですけれども、学校でのこのような現状をもたらしている原因は、非常に多岐にわたります。その中のひとつは、指導者個々の心の中にある書法に対する概念が千差万別のままなので、教室で行われている書法教育は実質的に各教師の個人的な理解、あるいは好悪に基づいて行われているといっても過言ではありません。


 社会的にみても、各地方協会の芸術書法養成班の目標は常に中央協会の「全国展」に入選することです。このため多くの省市では、「全国展」の前に有望な学生を選抜し、審査員のメガネにかなうように修正して何日も何十日も徹底的に突貫訓練を行い、出品作品を準備するのです。またそのようにしてはじめて、多くの学生を入選させることができるわけです。しかし、そのような出品作品は個性的表現に重点を置くので、一般人の書法の平均的見方からすると、レベルの高い作品とは見えない点が問題なのです。


 学校教育においては、小学校でも中学校でも書法教育が確実に実践されているとは到底いえない現実がありますが、大学におけるハイレベルの書法教育における学生たちは、非常に大きな情熱を持って学んでいます。現在中国で書法専門の専攻・学科等を開設している四年制大学は 40数校にのぼります。例えば、北京師範大学、人民大学、山東師範大学、曲阜大学、瀋陽大学、陝西工業学院等々です。また、修士課程や博士前期課程のある大学は20数校、博士後期課程のある大学も清華大学、北京師範大学、中南大学などがあります。


 ただし、そこで学生たちが専門的に学ぶのはむろん「書法研究」なのですが、その表面的な名義は「文字学」とか、「古籍整理」といったものが多いようです。どうしてかといいますと、正規の教育制度における学科体系には、従来から「書法」の分野がないからです。そして実に不可思議なのは、このように今日の中国の書法教育においては枝葉や果実があるだけで、それに水分や栄養素を送る根っこの部分がないままに放置されているということです。つまり、小・中学校には書法の基礎の位置づけがなく、大学に至って初めて「書法本科」に学ぶのです。ある大学では、書法の修士課程や博士後期課程を設けていながら、その学部には書法の学科が設置されていません。例えば、私がいる首都師範大学もそうです。それ以外にも、例えば師範学校の書法本科では当然、小・中学校の書法教師を養成すべきでしょう。しかし、小・中学校の側には書法教師のニーズが全くありません。これは大変大きな問題であり、このように多くの書法専門の学士や修士、博士を養成しても、彼らの「出口」がどこにあるべきか全く分からないのです。



学校での狃字教育

 そこで、小・中学校における書法教育の問題を少しお話ししなければならないと思います。つまり、それは狃字教育瓩砲曚ならないのですが、今日、中国の政府と教育当局は、学生の写字教学に関しては十分に重視しています。それに関して幾つもの正式な文書を発表しています。例えば、ここ何年かの間に教育部が発表した「義務教育段階の小・中学生の写字教学を強化するための通知」や、比較的具体的に例示した「小・中学校の写字教学を強化するための若干の意見に関して」という文書などです。


 現行の小学校と中学校の「国語教学大綱」の中には、各年次の「写字教学」に関する規定があり、例えば、「小学1年では、鉛筆を用いて学習して正整にきれいに書く」、「小学3年生では、鉛筆の字を比較的熟練して書く。万年筆の字を練習し始める」、そして「中学校では、継続して毛筆で楷書の細字を書く。万年筆を使って字を書く訓練を強化する。比較的スムーズに万年筆を使って字を書く。正確に端正にはっきりと行間を整えて紙面をきれいに書く」、などと示しています。


 また広東省が示しているのは、「小学校の1、2年次では硬筆を使って硬筆の文字を習う。主に国語教育と並行して行う。正確に書く、正しい姿勢で書く指導を強化する。そして良好な写字の習慣を養成する」、「3、4年次では名家の名帖を臨模する。楷書または隷書の書体を選ぶことができる」、「5、6年次では法帖を臨書すると同時に、楷書または隷書を用いて初歩的な毛筆の書法創作の練習をする」、などです。中学校段階では、これに行書の訓練が加わり、高校では芸術美術科と結合して毛筆の書法創作の練習を行います。


 最近、広東省と北京市が小学校と中学校において毎週1コマの「書法科」を必修にしました。このような状況を見ると、将来全国的に高校に書法専修の学科が設置される可能性も大いにあります。


 そこで問題なのは、このような規定と要求が実際の教学上で厳密に実施されているかどうかです。教育がこのような規定に準拠して厳密に実施されれば、生徒の写字の水準はきっともっと高くなるに違いありません。しかし、現在の各学校におけるような水準と計画で期待した結果を得ることは、まず不可能でしょう。現在の学校教育では、そのほとんどの精力が学生たちの大学入試のために向けられていることが問題です。そのために、小学校から中学校、高校に至るまで、書法教育は大きく割り引きされているのです。もっともこれは、教育当局が規定と要求をきちんと実行するように厳しく指導すればよいだけのことです。書法の授業が確保されれば、全く問題はないといえます。


 しかし、書法の授業が実際にどのように進められるべきか、どのような目標設定が実現可能なのか、といったことはもっと大きな問題です。これは誰の責任ということではなく、次のようなことが正しく認識されているかどうかということなのです。


 一、まず、今や書法の概念が複雑多岐にわたって変化してきているということを明確に認識すべきです。現在学校で開設されている「書法科」の本質的要求は日常の必要にこたえることで、書法家を養成することではありません。大多数の人々の課題を解決するためのもので、少数の人が賞を得るための教育ではないのです。これが問題の本質です。ですから、一切の関係のない枝葉は除くべきです。今日、青年たちはそんなに多くの時間をもっておらず、かつてのように大部分の人たちが書法に興味をもっているというわけでもありません。もし仮に今、全ての学生に真・草・隷・篆や、蘇・黄・米・蔡、また筆・墨・紙・硯、あるいは提・按・起・落といったことを無理強いすれば、拒絶するか逃避するという結果を招くだけでしょう。


 二、次に、現代においては写字教学の教育的理念と方法も現代的であることが必須条件であることを認識すべきです。古来の有効な方法だからといっても、現代には必ずしも適合しません。二十一世紀に至ってもなお、われわれの「書法科」は古来の私塾的な方式を踏襲しています。文章はまず一編一編を暗記し、字は一字一字訓練する、そうすれば大人になると自然とその道理が理解できる、と信じ切っているかのようです。


 ですから、十分認識しておかなければならないことは、現在では教育の主体は学校であり、私塾ではないということです。そして学校の支柱は学科であり、学科の立脚点はその特定分野の知識と普遍的な規範です。国語には文法があり、数学には定理があります。美術には素描があり音楽には旋律があり、旧詩には格律があります。その中から獲得し、分析して新しく創作したものが事例です。そしてその事例が、基準の確立につながるということです。



伝統書法と書法教育

 さて、学校教育においては、規律とは全ての学科の基礎であり、規律のない学科は学校がないことと同じであり、それでは教育もないことになります。残念ながら、伝統的書法には、もともとこのような意識がありませんでした。


 書法家は、書法の歴史と作品、各種の字体、書体の特徴などは十分に熟知しており、よく表現できるし、それについて話すこともできます。しかし、各種のよい字を比較分析したり、どこにそのようなすばらしい共通の要素が潜んでいるか研究したりすることは少ないのです。彼らは、人々がともに鑑賞する審美的対象、つまりどんな字がよい字なのかの答えは様々でいいと思っています。もともと基本的な基準の概念、認識がないからです。このような古臭い意識と方法で、それぞれが好きなように教育を行うとしたら、学校における教育理念とは非常に大きな差が生じてしまうのではないでしょうか。


 その結果、才能のある学生だけが学ばずともできるようになり、しかしどのように学習を進めていったらよいかは分からない、ということが起こり得ます。なぜならば、彼らは根本的によい字の基準と規律を理解していないからです。このような教育の現状は、毎週1コマの学生はいうに及ばず、長年書法を学習してきた人にとっても、学習したものはできるが、学習していないものはできないという結果をもたらしています。そうでなければ、どうして多くの人がいまだに師を崇め芸を学ぶことに全力を投入して、しかもものになる人がこんなに寥々たるものなのでしょう。


 だから私は、このような親方が弟子を教育するような方式は私たちが要求している書法教育の様式ではないと思うのです。比較的短い時間内に学生を助けて、古い道は通らずに新しい道に導くことが必要です。


 総じていえば、学生がよい字を書くには‥晴茲どのような規則の下に組み合わされているかを知ること彼らの能力を訓練して、点画をどのような位置に置いたらよいかを把握し、各種の事例に照らして理解すること、の2つをすればよいのです。


 しかし、もっと重要なことは、普遍的な規範を理解することです。まず知る、そして書く。よい字を書くためには、それで十分なのです。よい字を書くには、用筆とか、各種の書法を完全に理解することは必要ないのです。


 書法教材と教師の解説の中に、漢字造形の規範の研究は見たことがありません。せいぜい、上緊下松、左低右高のたぐい、あるいはある種の書体は大体の外形がどうだとかが書かれているだけです。私たちが要求している漢字造形の規範は、一般的によい字あるいはその標準を明確にし、簡単に実行できるような一種の基本原則です。それは例えば、国語の主語、述語、目的語のようなもの、美術でいえば物体に光が当たる明暗の分界線のような、音楽でいえばリズムと和音のような、古詩でいえば平仄と押韻の原理のようなものです。


 書法教育にはもともと、このようなものはなかったのです。その原因は、恐らく多くの書法家が学校での訓練を受けておらず、彼らが学習してきた道はもっぱら、臨書と、一家の法を研究することだったからです。皆、そのようにして書法家になったからです。日本でも、似たようなことがあるかもしれません。


 学校の教育は、教育を受ける者に知らざるを知らせる、できないものをできるようにさせることを目標にしているものです。そして、その対象の大部分は普通の人であって、ごく少数の天才ではないのです。


 以上、まとまりのないお話になりましたが、これからも皆様方と力を合わせて、この書法教育を、非常に重要なわれわれの共通の課題を、少しでもよりよい方向に推し進めていきたいと切に願っております。ご静聴ありがとうございました。


首都師範大学
文学院副教授 高恵敏



(書道美術新聞 (第884号) 2008年1月15日版 1・3面)


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